SAFETY-EAST

Bee-U goes to CG

(神戸MGCC会報「Cream Crackers1994/1 #32)

 

11月18日(1993年)、木曜日。前日は帰宅が午前1時半、そしてこの日は朝5時半起きで羽田空港から大阪へ飛び、帰ってきたのが午後11時。翌日待っている朝4時起きでの前橋出張を思うと心身共に疲労困憑と言った体で帰宅した僕を、留守番電話の「録音あり」を示す緑のランプの点滅が出迎えてくれた。そのランプの数から録音件数を判断した僕は眉をしかめた。1日で4件の電話というのは、ないことではないにせよ、滅多にあることでもなかった。

 僕はネクタイを引きむしるように緩めながら、録音再生のボタンを押した・・・。

  「ジャパンセンターのHです。急な話ですが、“カーグラフィックがRV8の取材に合わせて一緒に撮影できるMGBを探しています。で、Corkeyさんのがどうかと思うのですが、いかがでしょうか・‥」

 僕が・‥CGに!!

 

11月22日、月曜日。前日、前々日の台風を思わせるような雨こそ上がっていたものの、空はどんよりと重い雲がたれこめている。天気予報では「曇り時々晴」。前日も同じ予報を信じてボディの水アカを落とし、塗装の痛みをタッチアップし、果てはBee-U購入以来やったこともないバンパー/グリルの磨き出しまでやっていながら夕方からの激しい雨である。とりあえず、雨さえ降らなければおんの字といったところか。

 僕は3年以上もベランダに雨ざらしだったのをホイール・クリーナーとタイヤ・ワックスで汚れを落として履き替えたワイヤ・ホイールとオートバックス・ハウスブランドのラジアルタイヤを一瞥して、ドアノブに手をかけた。残した余計な荷物はオリジナルのステアリングだけのクリーンな室内は、すでにハーフ・トノゥにしてある。僕はチョークを引き、イグニッション・キイをひねった。向かうは神田神保町、二玄社ビルである。

 あれから慌ててHさん(当時MGCC−JC事務局長)に電話をかけた僕は詳しい話を聞いた。’93年の東京モーターショウに出品され、わずか1週間で500台の日本割当台数を予約で完売したRV8はローバー・ジャパンの手によって慣らし運転を施され、最初の取材がCGなのだという。

 CGの意向としてはRV8とMGBを一緒に撮影したいということで、適当な車がないだろうかという相談がジャパンセンターのジェネラル・セクレタリイであるHさんの所へ投げかけられたのだという。

 問題はこの記事が2月号掲載予定で、業界で言うところの「年末進行」という奴で何としても取材は22日の月曜か、天候が悪くて伸ばしても23日という日程のなさだった。

 そこでHさんから僕ではどうかという投げかけが逆にCGになされ、基本的には先方は了承で後は僕のスケジュールだということだった。22日は日曜日と勤労感謝の日との間に挟まれたウィークデイなのである。

 そんな事が何だと言うのだ。会議の一つや二つ、飛ばしたところで仕事の都合などどうにでもつく。しかしCGに、あの「カーグラフィック」に自分の車が取材されるなどということは生涯この先二度とあるかどうかである。

 むしろ問題はBee-Uにあった。 Bee−Uは知ってのとおり外観こそボディカラーを除いてほぼノーマルを保ってはいるものの、メカニカルや内装は僕なりのポリシイを持って手を入れてある結果オリジナリティが高いとは言いがたい内容になっている。そのBee-UをもってMGBの代表とするには僕自身抵抗感があったのである。

 しかし編集部の意向としてショウルーム・コンディションの結果走らせることがためらわれる車よりも、走らせられる車を希望しているという事だった。またHさんの考えとしてもある程度MGBを知っている人間の車の方が良いだろうとの事で、それならば編集部が納得した上でということで話はクリアされた。

 ただしホイールとステアリングだけは写真映りの点でオリジナルに戻して欲しい、というオーダーが編集部側からあり、それは僕としても何の問題もないことだった。しかしステアリングに関してはオリジナルを保管してはいるもののMGBのステアリング・シャフトはストレート・セレーションのために交換は僕の手元ではできず、二玄社で塚原記者の持っている工具で交換することとなったのである。

 もう一つ残された問題は、僕自身が在阪某自動車企業の社員である事実だった。他社製品に乗っているということは車は極端過ぎるということで言わば黙認状態なのだが、さすがに天下のカーグラフィックに顔と名前が出るのは具合が悪い。と言うわけでこの点は匿名でお願いすることにした。

 かくしてナルディのステアリングの他に取材の参考にしてもらうべく僕の自慢の「MGBカタログ・コレクション」と「MGBパフォーマンス・マニュアル」、そして「モデル別解説」他の僕が書き溜めた資料を持参して、取材に臨むことになった。

 

休みを取ったとは言え集合場所の二玄社ビルは僕の会社から車で15分程度の場所で、おまけに集合時間は10時。と言うことは家を出る時間はいつも出勤する時間と変わりない。それはすなわち道路が無茶苦茶に混むということである。

 おかげで休日なら1時間もあれば十分につりが来る距離を2時間かけて、到着したのは定刻の5分前というタイミングの良さだった。

 早速今日の取材のセッティングを担当しているらしいCG編集部の牧野幸子さんに電話を入れる。担当の加藤哲也記者は現在ローバーからRV8を受け取りに行っているところで、その間に塚原記者がBee-Uのステアリング交換にかかった。

 しかし当てにしていた工具が合わない事が判明、CRCなどのケミカル用品を駆使して外すことになる。その間にミジェットを以前から所有している阪記者が出社してきて、僕のカタログ・コレクションなどをお見せしながらしばし立ち話。塚原記者はかなり悪戦苦闘している様子で、結局僕はCG編集部でRV8の到着を待つことになった。

 現在二玄社ではCG、SCG、NAVI、CG−TVがすべて別のセクションとなっているようで、もちろん連携はあるのだろうがフロアも別だったりする。僕が通されたのはCG編集部の入口の所の狭いスペースで、本来は応接コーナーなどではないらしくその日もポジ・フィルムとビューワーがテーブルの上狭しと積まれていた(因みにポジ・ファイルには「マクラーレンF1試乗会」と書かれていた)。

 無論本来の客の応対は専用の応接室で行うのだろうが、僕はむしろそこの方がCG編集作業の一端を窺い知ることができて、興味深かった。とは言っても僕のいた所から中は見ることはできないようになっていたが、待っていたわずか10分程度の間にも撮影機材を抱えたスタッフが行き交い、慌ただしい様子は見て取れた。牧野さんにしてからが、前日まで鈴鹿のマイレッジ・マラソンで翌日がこれである。

 そうこうするうちに加藤記者が戻ってきて、阪記者などと一緒に1階の回転式駐車場に入っているというRV8を見にいくことになった。

 前に中でも書かれていたが高価な車両を扱うことの多いCGらしく、最新式のタワー型駐車場である。そこから現れたRV8は、東京モーターショウで見たのと同じグリーン・メタリックだった(車両自身、同じものではないかと思うのだが)。

 前に幕張の会場で見たときと比較すると、抑揚の強いフェンダーによってボリューム感はあるものの基本骨格がMGBというのは隠せない。しかし「ベントレー・コンティネンタルRをコンバーティブルにした」という写真で見た印象は、実車を前にしても変わらない。MGBと共通パネルなのはドアとトランク・リッドだけのようだ。しかし日本で追加したと思われるドア前サイド・シルの「ROVER」のマークだけは興ざめである。

 エンジン音は「V8」という言葉の響きよりはアメ車っぽい「ドロドロ」した感じは薄い。まあそれで行けばフェラーリ348だって「ドロドロ」は言わない。しかしブリッピングをくれるとトルク反動でボディが揺れるのはさすがV8・3.9ℓである。

 エンジン・ルームはラジエーターにシュラウドが付いていたり、一見してMGBとは違って見える。なによりV8エンジンはMGBのエンジン・ベイに対してギリギリである。両脇から出るエキゾースト・マニーフォールドも独立ブランチ(いわゆる「タコ足」)で、干渉するためにインナー・ホイールハウスが切られているのが意外だった。オリジナルのBGT V8では、形状変更のみである。

 驚いたのがトランクルームである。インパネに電磁式トランク・オープナーが付き、ステーもガス封入式。しかも全面カーペット張りでCDチェンジャーまでが付いている。だが205サイズのスペア・タイヤがあまりに大き過ぎ、残ったラゲージ・スベースはMGBよりも逢かに少なくなっている。

 そんなところだけをザッと確認したところで塚原記者が疲れた表情で戻ってきた。ついにギブ・アップである。無理をすれば外れはするだろうが、ナルディが破壊される恐れがあるという。「“オーナーの好みでハンドルは交換してある”というキャプション付ければいいよ」という加藤記者の一言で、結局ステアリングは元のままである。

 そうこうするうちに、いよいよ本日のロケ地である茨城県つくば市へと向かう事になる。一行はBee-U、RV8以外にカメラカーとして長期テスト車のアストラ・ワゴンの3台。僕はロケ場所である牛久シャトーという明治時代からのワイン工場は行ったことがなく、牧野さんが僕の助手席に座ることになる。

 RV8はダッシュカを生かして消え失せ、アストラは地の利を生かして先へと進む。残されたBee-Uはおっとり刀で首都高入□を目指す。天候は回復傾向で、コートやマフラーなどの耐寒装備をしてヒーターを入れればそう寒くはない。

 いちおうウィーク・デイということで首都高も混み気味ではあるものの、6号線を通って渋滞の名所である三郷料金所を過ぎて常磐道に入れば3車線の快適なクルージングに入ることが出来る。ただし横風が強く、サイズとトレッドパターンで選んだオーツ・タイヤ製オートバックス・オリジナルブランドのしょぼいタイヤとワイヤ・ホイールでは直進性が悪く、いささかステアリング操作に神経を使う。

 牧野さんとあれこれ話をしながら走ること2時間程度でBee-Uは谷田部ICに到着した。(因みに谷田部ICの2km手前にある谷和原ICで降りてさらに1時間走ると筑波サーキット、谷田部から30分で自動車工業試験所<JARI>のテストコースがある)

 料金所を出たところで3台が再び合流してファミリイ・レストランで昼食。国道6号線沿いにある「COCO’S」というその店は、JARIを頻繁に利用しているCGスタッフの行きつけらしい。

 食事をしながらBee-U購入の経緯や普段の使い方などを雑談混じりに話す。加藤記者は時折気が付いた点を手元のメモに書き込んでいた(後でそのあたりをまとめた物をこちらから渡したが)。

 牛久シャトーは2時から借りているということで、木枯らし1号で木の葉舞い散る中3台の車は再び移動。真後ろから見たRV8はナンバー・プレートがバンパー下へ移動していることとフェンダーが膨らんでいることから、MGBよりも幅が相当広く見える。

 そして着いた所は角が風化した赤レンガ造りの建物3棟が広い庭の中にあるという、そこだけ欧州の空気を持っているような空間だった。浅草・神谷バーの「電気ブラン」と言えば聞いたことがある人も少なくないと思うが、この牛久シャトーはその神谷氏が日本でブドウ農場から一貫した本格的なワイン/シャンパンを製造するために明治の始めに建てたものをそのまま保存してワイン資料館やレストランとしているもので、現在は神谷酒造から生まれて北海道で育った合同酒精鰍フ持ち物らしい。

 因みに入場は駐車場を含んで無料。ワイン資料館も無料で、お金がかかるのはレストランやガーデン・パーティ、場内で販売されている各種ワインなどの購入だけである。

 まずRV8とBee-Uはガーデンに移動。「コンクール・ドゥ・エレガンスをやるのに丁度いい」という印象の芝生ではバーベキューができるようになっている。カメラマンと加藤記者の指示でBee-Uを移動させて様子を見るが、背後の樹が落とす影がカメラマンの気に入らず、ここでの撮影は断念。正門前に移動となる。

 正門前ではまず中扉用のRV8メイン/Bee-Uバックを撮影。いくつかのアングルで撮影した後でBee-UはRV8と別れて、現在はワイン資料館になっている旧ワイン工場へ移動する。ほぼ当時のまま保存されているワインの醸造タンクがズラリと並ぶ館内にBee-Uを押し入れての撮影である。中は照明用にアストラが入るとその横を通ることもできないほどの幅しかない。しかし暗く沈んだワイン工場の中に佇むBee-Uは荘重な雰囲気があった。元々ここでの撮影は、RV8が暗いボディカラーであったためにBee-Uにお鉢が回ってきたのである。

 他で撮影を済ませてきたRV8が戻り、Bee-Uの方の撮影に取りかかる。僕も持参してきた自分のカメラで一緒に撮影する(こんな所に入り込んでまでの撮影など、プライベートでは不可能なことは言うまでもない)。終わった時は既に日は傾き、わずかにBee-Uのインパネとトランクリッドのオクタゴンを撮影するのがやっとだった。

 これで全部終了かと思っていると、なにやら加藤記者と牧野さんが額を寄せて相談している。そして牧野さんが僕の所にやってきた。明日谷田部のテストコースでRV8の撮影をする予定なのだが、僕の都合さえ良ければ今日取れなかったカットの幾つかを取りたいとのことである。

 なに、都合と言い訳はどうとでも付くものだ。一瞬脳裏をかすめた助手席アクセサリーの怒った顔は、牛久シャトーご自慢のレストラン「キャノン」のランチの予約をその場にいたワイン資料館の責任者の横山さんにお願いしたことで埋め合わせることにした。

 これで一応この日の撮影は終了し、帰る前にどこかで休憩ということになった。それに合わせて加藤記者がBee-Uに乗り、僕が一人でRV8のハンドルを握らせてもらうことになった。

 ドライバーズシートに座った第1印象は、「前が見にくい」だった。 RV8のウィンドウ・シールドは転倒時の安全性を考慮して、細いロールバーが組み込まれているために特にヘッダーの部分が太くなっている。またBee-Uにはない(Bee-Tにはあった)サンバイザーも視界を狭めている一因である。

また、明らかにBee-Uよりもアイ・ポイントが高い。これは205/60タイヤと沈まない本革シートの相乗効果だろう。またクラッチ/ミッションの関係かフロアトンネルが大きいためにペダル周辺の空間は明らかに少なく、総じてBee-Uに比べて「狭い」という印象である。

 クラッチはBee-Uよりも若干は重いが、「ヘラクレスの足」が必要なほどではない。太く、径の小さい(と言ってもBee-Uのナルディと同じφ360)ステアリングの握り心地は良い。

 シフトはドライバー側に傾斜しており、まるで始めから4速に入っているかのようである。しかし短いシフトロッドとアームレストとの関係は良く、アームレストから肘を浮かさずにシフト操作ができる。因みにシフト・フィールはギアが入りきるところでわずかな引っ掛かりがある。シフト・パターンは通常の5速パターンの左前にリバースがある。

 クラッチを繋いで走り始める。特に何のストレスもなく、非常にすなおである。エンジン音は走り出しこそV8サウンドが聞こえるものの、あとはごく静かでしかも音質はBee-Uによく似ている。同じOHV、という素性は隠せないというところだろう。

 駐車場を出るところで、見事にワイパーを動かしてしまった。 RV8は右ハンドル車しか生産しない。にもかかわらずECの統一規格で右ワイパー/左ウィンカーなのだ。これはプジョーなども一緒で、むしろ’73年式のBee-Uの方がまともな配置である。

 ステアリング・フィールは直進付近の不感帯も少なく、しっかりした印象ではあるもののスポーティという言葉には遠い。少なくともキビキビした挙動ではなく、むしろドッシリとしている。タイヤの太さは隠せないと言ったところだが、パワー・アシストはない。

 これは一般路での乗り心地も同様で、いかにもボディが重い「ズンズン」というフィーリングである。しかしフロントにコニのスペシャルハンドリング・キットを組み込み、リアにトルクロッドを追加してコニのダンパーを付けた足回りは結構乗り心地が良い。ただしこの足回りは市販のキットを組み込んだもののようだ。

 驚いたのは、ギアリングの高さである。何と4速80km/hでタコメーターの針はわずか2000rpmにさえ達しない。これではエンジン音が静かな訳である。信号でわずかに離された時に2速でハーフ・スロットルにしてみると、いきなりバックレストに体が押しつけられると共にトルク感あふれる加速を示した。このヘビー級ボクサーのフックのような重みのあるパンチカはMGBにはないものである。これを支えるブレーキはサーボが強く、Bee-Uの「あるのか、ないのか」というサーボ・アシストに慣れた足では少々注意深く踏む必要があった。

 しばらく走って感じたRV8最大の問題は、「ステアリング・コラムに膝が当たる」という事だった。クラッチを踏むために左足を浮かせるたびに当たるのだが、僕程度の身長(167cm)でもこうなのだからイギリスではどうなのだろうか?

 総じてRV8のドライビング・インプレッションは、「MGBを思わせる点のない、2クラス上のツーリング・カー」というものであった。

 元々MGBのオリジナル・ボディにV8エンジンを搭載したモデルを理想としている僕自身としては、「エンジンだけ下さい」というのが希望である。

 さて昼間の「COCO’S」のはす向かいにあるファミリイ・レストラン「CASA」で一休みの後、僕達は明日の再会の約束を交わして帰路についた。翌日は僕は朝9時に谷田部入りで、CGスタッフは7時半頃から入っているとのことだった。

 

 その朝幕張経由でアクセサリーを助手席に積んだ僕とBee-Uは再び常磐道を北に向かって走った。ところが上天気の休日とあってヘボ・ドライバーが多く、あちこちの事故のおかけで何度も渋滞に捕まる羽目になって谷田部に着いたのが正に予定の9時5分前というきわどさだった。

谷田部に入った途端、あちこちに「NAVI」と「RJC」の文字が目につく。どうやらNAVIの「ダイナミック・ドライブ・テスト」と「日本カー・オヴ・ジ・イヤー選考会」の両方も同時に行われているらしい。

 高速周回路に行くと、丁度幌を上げたRV8が加藤記者のドライブでコース・インしている所だった。コース・サイドにある小屋ではCG編集スタッフが2台のボルボ850にオノビットを取りつけてロードテストの準備中。RV8は撮影前にテストを終わらせるらしく、それまでの間僕は暇である。

 助手席アクセサリーは小屋に残して、僕はCGスタッフと話をしたり、テスト風景を見たりしていた。やがてRV8が小屋の前に戻ってきた。加藤記者に聞くと、O−400m加速は15.2秒、最高速は223 km/hとの事だった。このデーターは「MOTOR」誌によるBGT V8のデーター15.8秒・200km/hに比べるとやはり速い。ほぼ同等の車重で53馬力の違いは少なくはない。

 その時どこからともなく聞き馴れぬエンジン音が近づいてきた。妙に低いその音は明らかに最近の車のものではない。ふと見ると、そこにサイクルフェンダーとボートテールを待ったブリティッシュ・レーシング・グリーンの2シーター・トゥアラーがいた。降りてきたレザー・ジャケット姿の痩身のドライバーが誰であるかは、トレードマークのディア・ストーカーを見るまでもなかった。小林 彰太郎CG編集総局長その人である。

 一瞬にしてその場にいた全員が緊張するのが手に取るように分かった。どうも小林総局長は予告なしに現れたもののようだった。戻ってきた加藤記者の勧めで小林総局長がRV8に向かう。外から眺め、中を覗き込み、乗り込んでシートをスライドさせてベルトを締めるとコース・イン。

 ところがわずか1周でRV8は戻ってきた。たまたま僕の傍らにいたCGスタッフがつぶやいた「1周で戻って来たってことは、気に入らなかったな」

 僕は緊張しながらRV8に近づき、挨拶をするとRV8の感想を尋ねてみた。帰ってきた答えは「高級サルーンみたいだね」というものだった。加藤記者もRV8を称して「巌のごとき直進性」と言っていた。

 小林総局長はアルヴィス3.6ℓのエンジンを開けて、何か気になるのかプラグの焼け具合を見ていた。その横から見ていた僕が「この車でいらっしゃったんですか?」と尋ねるのに対し、総局長はあの静かな□調で答えた「この車はモダーン・カーですから」

 そして「せっかくだから、隣に乗ってみますか?」と僕におっしゃった。頭の中は一瞬空白である。そして「ええ、ええ、よろしければ是非」とようやく答えて慌てて小屋の中からジャケットを取ってきてアルヴィスの助手席に乗り込んだ。

 3.6ℓ6気筒エンジンに火が入り、アルヴィスは谷田部高速周回路に入った。右からブレーキ/アクセル/クラッチと並んだクラシック・レイアウトのペダルと長いシフト・レバーを巧みに操って、アルヴィスは速度を上げてゆく。高いカウルとレーシング・スクリーンのおかげでほとんど前が見えないものの、そう寒くはない。

さすがにバンクに上がることはなかったものの、僕の前にあるスピードメーターはあっさりと80mph (≒128km/h)に達した。小林総局長は速度を変える度にステアリングセンターに付けられたレバーで点火時期を細かく調整しつつ、途中軽く左右にボディを振ったりもしていただいた。1936年製とは思えぬほど安定し、かつ乗り心地の良い車だった。まあ小林総局長の腕も多分にあるとは思うが。

 小屋に戻り、お礼を言って車を降りてふと気が付くと、小林総局長はまた別な人を乗せてコース・インしていった。5周近くも周回路を回って戻って来たとき、アルヴィスのドレーン・パイプからは冷却水が流れ出していた。

 一方加藤記者はまたRV8でコース・インしていたが、乗りたそうにしていた僕を見て助手席に誘ってくれた。嬉々として乗り込んだ僕と共にRV8は急加速でコースに入った。それは過去にハルトゲBMWで経験した時のような、頭から血が下がるのが分かる加速力だった。

 アルヴィスとは違いバンクの一番上まで使って走るRV8の速度計の針は200km/hを越え、240 km/hに達している。メーター・エラーを考えると223km/hという最高速度だろう。僕も自分の会社のテストコースのバンクを走ったことがあるが、その時印象的だった上からGで押さえつけられる感覚が弱かったのは、谷田部のバンクの半径が大きいせいだろう。とは言ってもバンク旋回申に手を上げると、明らかにGの影響が分かる。

 この速度で最も大きな音は、フロント・ウィンドウと幌の隙間から入ってくる風の音である。さすがに200km/hを越えると幌の張力ももたないと見える。気になったのは電圧計の備えがあるくせに油圧計がないことで、「スポーツカー」ならばやはりオイル・プレッシュアゲージは欲しいものだ。

 RV8は加藤記者のドライブで安定した走りを見せ、小屋の前に戻った。Bee-Uの実力も知りたいところだったのだが、さすがに向こうが遠慮したのかBee-Uがバンクを踏むことはついになかった。

 その後RV8とBee-Uは1台ずつ郊外に見立てた外周路で撮影にでかけ、僕は小屋でアクセサリーと留守番である。だから今この原稿を書いている時点では、どんな画が撮れているのか知らない。

 昼には撮影も終わり、CGスタッフも撤収に入った。一部スタッフはこれから仙台だそうで、まったく雑誌の編集というのは「9to5」という言葉と無縁の職種である。

 RV8の方は翌日今度は箱根でコーナリングの撮影だそうだが、これでBee-Uに関係のあるすべての撮影が終了した。僕は小林総局長を始めとするCGスタッフに挨拶をし、谷田部を後にした。12月末に発売されるCG2月号を楽しみにしつつ。

え、僕がアルヴィスやらRV8に乗っている間助手席アクセサリーが何をしていたか、ですか?まあ、ね・・・。どうやらボスキャラは倒せなかったみたいですけど。

 

CONTENTS